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僕は computer science の研究者だけれども,ヒューレットとパッカードのように,一人のエンジニアでもありたいと願っている.
先週土曜日に僕達は TEDxKyotoChange というイベントを開催させてもらった.その会場に,僕は一人のエンジニアとして,万が一に備えてこんなものを持って行っていた.
ええ,もちろん役に立ちましたよ.
科学技術振興機構(JST)が発行した「文化を目指す創造型科学技術研究とその進め方」という研究報告書があるのだが,これがとても面白い.内容は元東大の原島博先生が研究統括をされていた戦略的創造研究推進事業(CREST)「デジタルメディア作品の制作を支援する基盤技術」研究領域の各研究代表者を原島先生がインタビューされるという構成なのだが,お役所の刊行物(と一括りにしては失礼なのだがどうか許されたい)としては驚くほど示唆に富んでいる.
この研究領域は独立行政法人科学技術振興機構という科学技術をプロモートする政府系機関が,日本の工学と芸術を結びつけることを目的とした研究領域で,名だたる工学系研究者,芸術系研究者が名を連ねている.
インタビュー中よく出てくるのが,工学系研究者と芸術系研究者のぶつかり合いなのだが,その中で工学系研究者がふと自分の立ち位置を振り返るシーンが必ず出てくる.
工学って,科学なのか,技術なのか?
僕はこの話題を見るといつも D. E. Knuth 博士を思い出す.工学と同じ概念はかつてartと呼ばれていた.artの語源となったラテン語arsに対応するギリシャ語はtechneで,これはtechniqueの語源になった.
技術も芸術も「術」,人の手によって作られるもの,つまりartefactであり,それにいたるプロセスだ.そして,そのプロセスになにがしかの普遍性を求めようとする活動が学問だ.
近代の(日本の)工学は,この立脚点をあまりに置き忘れていないだろうか.Artefactを作って,人を幸せにするという立脚点を.(基礎研究が主戦場の研究者はSFを書けばいい!)
たぶん,医学・医術分野ではもう何十年も繰り返された議論だろう.たぶん我々も学ぶべきだと思う.
世界を変えるには,まず自分から変わらなきゃ.
1980年代ごろまでは,大学の工学部に進学するというのは死に方を決めるようなところがあった.機械に挟まれるとか,焼かれるとか,感電するとか,溺れるとか,中毒死するとか(有機と無機を選べる),ウィルスに感染するとか,放射線を浴びすぎるとかだ.学科選びは死に方選びというわけだ.
実際に事故は滅多になかったが,それでも工学部に入学するときには,みんなそれなりの覚悟をしていたように思う.(保険料も文学系より高かった.)
一方,弱電(電子工学)や情報系では死に至る事故というのはまず無い.
当然,そこには文化的な違いが生まれる.コカコーラとペプシのような,IBMとアップルのような,(旧)松下電産とソニーのような関係だ.死亡事故が起こりうる研究分野の場合,どうしても厳しい管理をせざるを得ないし,それゆえ上下関係も厳しくなる.たいてい歴史も長いのでフォーマルになってくるし,その分野でのお作法というものが必然的にあるので,新規参入は難しくなる.(別に新参者に嫌がらせが有るというわけではないが,新参者はそう受け取るだろう.)
どっち系の研究室かというのは,研究室(実験室)についている扉を見ればだいたいわかるものだ.普通のオフィスのドアというのはたいてい内開き(部屋へ向かって開く)だが,もしその研究室のドアが外開き(廊下に向かって開く)なら,その研究室は事故が想定される実験をしている.緊急脱出するためだ.
Engineer fears turning on switches. This is universal law. Mechanical engineer fears turning on ignition key of an engine. Electric engineer fears turning on breaker of an electronic circuit. And, atomic engineer fears turning on nuclear reactor.
Why does engineer fear those ignitions? The machines are designed to work well, however, the engineers know that to err is human. No one is an exception. And the timing of turning on it is the timing of the judgement.
In other words, if you feel something before turning on mechanical things, and only if you do, you have a sense of engineering.
エンジニアなら,スイッチを入れるときは怖がるものだ.これは鉄壁の法則である.機械屋ならエンジンに火を入れる瞬間は怖いし,電気屋ならブレーカをONに倒すのは恐怖以外のなにものでもないし,原子力屋なら発電を始める瞬間は震えが止まらないだろう.
なぜエンジニアはこうもスイッチ・オンを恐れるのか.機械ってものはちゃんと動くように設計されているわけだが,それでもエンジニアは例外なく「人は誰でも間違える」ことを知っているからだ.(エンジニア以外もこのことを知っているが,エンジニアなら全員知っているという意味だ.)スイッチ・オンの瞬間は,審判の瞬間でもあるのだ.
こうも言い換えられる.もしあなたが,何かスイッチをオンにするときに何かを感じれば,そしてそのときに限って,あなたはエンジニアとしてのセンスがある.
I feel that science would have three steps of discovery, editing, and predicting. I also have similar feeling in Engineering that it would have three steps of invention, editing, and control. The word “to understand” would well describe these steps in a single word.
But is this true? True scientists and true engineers really do this? I am under the impression that they would skip editing, directly connect discovery and prediction, or invention and control. This would not be understanding, but maybe Grok. (Super guys would be likely to predict/control something without any steps. This would be called inspiration.)
The interesting part of this story is: there definitely are talented editors.
科学って「発見する→編集する→予測する」だし,工学って「発明する→編集する→制御する」なんだよね.で,これらのプロセスは一言で言うと「わかる」ってことだと思う.
でもさ,一流のサイエンティストやエンジニアたちが,本当にこんな手順を踏んでいるんだろうか.彼ら,彼女らは,途中の「編集する」っていう部分をすっとばして,「発見する→予測する」とか「発明する→制御する」にいっちゃうんじゃないだろうか.これはもう,「わかる」じゃなくて「はまる」だよね.(超一流になると,いきなり予測しちゃったり,いきなり制御しちゃうのかもしれない.これは「あたる」っていうんだろうか.)
もっとも,世の中には「編集」の天才みたいな人もいる.
工学系の素養のある人は1.1の2乗を暗算で計算する.彼ら/彼女らは無意識に1.1を1+0.1に分解する.その次に考えることはおおよそ次の通りである.
0.000001はだいたい0ではないが,1.000001はだいたい1だ.大切なことなのでもう一度書く.
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