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教室.
同じ曜日,同じ時刻,同じ場所に集まる.下手をしたら座席も同じ.座っている向きも時間も同じ.
大学が学生に身に着けてほしいと願うものはなんだろうか.
創造性.
大学が学生に提供できる,創造的な活動は何かあるだろうか.
研究と演習.
演習?
例えば僕が学部1年生のときには,地球上の重力加速度を計測するという実験をさせられた.
地球上の重力加速度なんて教科書に書いてある.9.8[m/s2]だ.
偉大なる創造性は,疑問に思うことから始まる.
疑問に思ったら調査せよ.
そこで関西大学の教官は僕達新入生に,400年前と同じ方法で重力加速度を計測させた.もちろん結果は9.8[m/s2].
だけれど,結果は本質ではない.教科書を疑うことだ.
だから,次に僕達が考えなければならなかったことは,その実験方法は正しいのか,仮定として用いたガリレオの運動法則は正しいのか,使った時計や望遠鏡は正確なのか,といったことだった.
(ちなみに実験系の正しさを疑う癖は,後に電磁気の実験を始めたときに身についてくるという仕掛けだった.)
そして,車輪の再発明.
多くの軽量言語やC++標準ライブラリに比するソートプログラムを書ける学生はまずいない.
だけれども,学生はソートアルゴリズムを自分で書かねばならない.
エンジニアはいつも “how it works” に興味を持たなければならない.
知ることは作ることだ.
制御してはじめて理解したと言える.
創造してはじめて身についたと言える.
こうして創造性を身に着けて,ようやく研究に取り掛かれる.
本当に創造的な仕事に取り組める.
大学はもう,教室を閉鎖したほうがいいかもしれない.
See also: Lecture Halls without Lectures [PDF]
1980年代ごろまでは,大学の工学部に進学するというのは死に方を決めるようなところがあった.機械に挟まれるとか,焼かれるとか,感電するとか,溺れるとか,中毒死するとか(有機と無機を選べる),ウィルスに感染するとか,放射線を浴びすぎるとかだ.学科選びは死に方選びというわけだ.
実際に事故は滅多になかったが,それでも工学部に入学するときには,みんなそれなりの覚悟をしていたように思う.(保険料も文学系より高かった.)
一方,弱電(電子工学)や情報系では死に至る事故というのはまず無い.
当然,そこには文化的な違いが生まれる.コカコーラとペプシのような,IBMとアップルのような,(旧)松下電産とソニーのような関係だ.死亡事故が起こりうる研究分野の場合,どうしても厳しい管理をせざるを得ないし,それゆえ上下関係も厳しくなる.たいてい歴史も長いのでフォーマルになってくるし,その分野でのお作法というものが必然的にあるので,新規参入は難しくなる.(別に新参者に嫌がらせが有るというわけではないが,新参者はそう受け取るだろう.)
どっち系の研究室かというのは,研究室(実験室)についている扉を見ればだいたいわかるものだ.普通のオフィスのドアというのはたいてい内開き(部屋へ向かって開く)だが,もしその研究室のドアが外開き(廊下に向かって開く)なら,その研究室は事故が想定される実験をしている.緊急脱出するためだ.
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